2015年05月06日

大阪は「都」になっちゃうのかな

5月17日に、大阪市で

特別区設置住民投票が行われる。

 

大阪都構想の是非を問う選挙。

賛成か反対かを投票しなければならない。

 

そして、その結果は

有効投票の半数を超えた方に決まる。

投票率に関わらず。

 

大阪市民の何%以上が賛成だったら・・・とかじゃないのだ。

 

ってことは、賛成の人は確実に投票に行く。

反対派も投票を促しているが、

市民の中で一番多い層は、「どっちに入れたらいいのかわからない」派だ。

 

実際、わからない。

「都」になったほうがいいのか、判断がつかないのだ。

 

もちろん、選挙に向けて広報が出ている。

市からの公のものも、維新側のものも、反対派のものも。

 

都構想のメリットは市と府の二重行政を一本化して税金を節約、

巨額の赤字を減らしていく、という点だったと思う。

橋下さんが大きな声で演説していたのを覚えている。

 

しかし、公の広報を見ても、

都になっても、「なるほど!これなら経費が格段に節約できるね!」というポイントが見当たらないのだ。

市と府の一本化で合理化できる・・・というのは、「そうかもしれないな」と思わせるけれど、

広報には、新しくなる区の庁舎は「新たに確保が必要」と書かれていて、

なんだか余計にお金がかかってしまうんじゃ?という印象が残る。

 

今ある区役所をそのまま使ったほうがいいんじゃ?

と言うか、もったいない。割と最近、区役所がきれいになったばかりなのに。

 

「都構想では、こんなことをします!」という維新のアピールも正直、響いてこない。

南区では、東西に走る大きな道路に、ニュートラムを走らせるという計画を掲げていた。

それによって渋滞緩和できる、と書いてあったが、

その建設期間中、恐ろしい渋滞が起こるのは必至でゾッとする。

どちらの道路も道幅を広げるのは難しいと思われるのだが、本当に工事できるのか…

 

そもそも、ニュートラムが必要なのかもピンとこない。

市バスがあるのだから、それでいいんじゃないか。

 

橋下さんが府知事や市長になる時、

「僕がなったら、こうします!」と言っていたことがいくつかあった。

府庁を南港のWTCに移設する案は、耐震性など防災面からできなくなった。

 

文化活動や、その施設を廃止する、と言って皆を驚かせた。

しかし、そういう事態に追い込まれて、文楽や市交響楽団、地域の文化活動の拠点になっている施設の大切さを皆が再認識し、「なくされては困る!」と立ち上がった。

結果、廃止されず、残っているものもあり、刺激剤としては有効だったように思う。

 

前に、このタイミングで何のために市長選挙をするの?という選挙があり、

あれは税金の無駄遣いだな~と、さすがに感じた。

橋下さんとしては意義のあるものだったのかもしれないけどね。

 

差し引きして、「維新になって税金の節約になってるな~」とは実感できていない。

維新側のチラシには、「これだけ赤字が減りました」と書いているけれど、

反対派のほうには、「橋下さんが市長になる前から赤字は減っていました」と書かれているし。

正直、よくわからない。

 

よくわからないのだけど、投票日はどんどん近づいてくるし、

その結果で決められてしまう。

 

住民投票をするには、まだ時期尚早と各党から意見が出ていたのに、

橋下さんは、それを都構想実現の足を引っ張る動きだと言っていた。

いや、本当に「決めかねる。」というのが多くの住民の本音だと思うのだ。

そして、その理由は、

「よくわからん。」

 

「わからないのならば、何でも質問してくれ。答える。」と橋下さんは言うが、

聞いても、よくわからないのが本当の気持ちだ。

今の時点で、「なるほど!それなら都になった方がいい」と皆がストンと納得するだけのものはない。

 

実際、「やってみないとわからない」というのがリアルなところだろう。

本当に、都になることで将来的に大阪が豊かな街になるのか、

その答えが出るのは、ずいぶん先のことなんじゃないか。

 

となってくると、

要は、橋下さん始め、維新の人たちを信じるか、否か、

もう、そこにかかってきているように思う。

 

なんで、こんな博打をやらされてるんだろう?

 

でも、前回の市会議員選でも維新は強さを保っていたし。

 

「どうすればいいかわからない」と投票を諦めて、流されるままになってちゃ

今回、本当にダメだ。

賛成にしろ、反対にしろ、投票に行かなきゃね。

posted by める at 01:29| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会・政治 | 更新情報をチェックする

2014年06月09日

男女は平等か?

少し前、春頃に放映されていたCM2本について。

 

一つ目、マンナンライフ

マンナンライフ (トクホ)蒟蒻畑ララクラッシュ 口論篇
YouTube: マンナンライフ (トクホ)蒟蒻畑ララクラッシュ 口論篇

 

温厚そうなお父さんが子供たちの口げんかを仲裁しようとして

逆に「お父さんは黙ってて!」とキツク言い返され、委縮してしまう。

 

二つ目、アマノフーズ

アマノフーズ いつものおみそ汁
YouTube: アマノフーズ いつものおみそ汁

「おじいちゃん、ないの~」と家族から言われてしまう。

その後で、ちゃんとおじいちゃんもお味噌汁を飲んでるんだけどね。

 

お父さん、おじいちゃんーーつまり、男性の家庭内での立場の弱さを際立たせて

それを笑いにしようとしている。

これは、面白いんだろうか?

 

「強い女性」をアピールするCMもあるが、

これは、男性の弱さを自虐的にアピールしている。

 

「本来強い立場で、敬われるべきお父さんやおじいちゃん」が

そうではない扱いをされている、それに笑いを見出しているので

きっと、CM制作側は「お父さん、おじいちゃんは家族から敬われるべき」という倫理観を持っているのだと思う。

 

しかし、CMというのは日に何度も繰り返し、子供から大人まで大勢の人が目にするもの。

繰り返し見るうちに、なじんでしまう。慣れてしまう。

そうして、いつの間にか

「お父さんやおじいちゃんを邪険に扱ってもいい。許される。」という思考を多くの人に普及してしまうことにもなる。

 

そういう意図はなく制作されているのだと思う。思いたい。

しかし、これでいいのか?と思わずにいられない。

 

これがね、逆に

「お母さんは黙ってて!」とか

「おばあちゃん、ないの~」とかだったら、どうだろう?

そういうCMを作っただろうか?

 

反発を呼び、問題になりかねないので、制作にOKは出ないと思う。

しかし、逆ならOKになった。

 

つまり、男女平等のバランスがまっすぐではないのだ。

真に平等なのは、

男女がお互いに相手の特性を理解し、認め合い、尊重し合える関係。

 

女性なら守られる(問題になるとやっかいだから、だとしても)

というのは、実際のところ、男女平等ではない。

「男の人を立ててこそ、女の賢さ」と言われたものだが、それは古いんだろうか?

しかしね、

男の人のメンツだとか、プライドは大事にしてあげなくちゃいけないと思うのよ。

カッコイイ男でいてほしいなら、ね。

 

恐妻が夫を罵倒するバラエティー番組も時々あるけれど、

あれも見ていて痛々しい。

 

「ほんと、アンタってダメねッ!」と言い捨てる妻は

「ほんと、お前はブサイクだな!」と夫に罵倒されたら、どうなんだろう?

 

女性の容貌をけなしたりしたら、そりゃあもうタイヘンなことになる。

それは許せない、というなら自分も口を慎まなくては、ね。

 

「きれい」と言われて、女は美しくなるし

「素敵!」と言われて、男の人もカッコよくなるんだと思うのよ。

posted by める at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | 更新情報をチェックする

2011年04月16日

どんな言葉も言葉にならない。ならなくても書くには・・・

コピーライターの糸井重里さんがツイッターでつぶやいていた。

「いま文章を書くということは、どういう反論が想像できるかだけでなく、どういうあげ足取りがあるかについて、これまでの64倍くらい考えないと難しくなってしまった。根本のところには「不信」があるんだとは思うけどね。ほんとに、もっと「光の射す方向」を見ながら書いていきたいだす。」

 

糸井さんは私が10代から敬愛するプロの「ことばについて考える人」で

私は全くの素人なわけだけど

・・・・この言葉、なんだかすごくわかった。

 

震災以来、・・・やっぱり、ものすごく書きにくい。ブログの日記すら。

どんな言葉が適切なのか、とても見つけにくい。

一ヶ月を経て、まだまだ大きな余震も続き、

放射能の被害ときたら、今後どのくらいの歳月が経てば安心を取り戻せるのか見当もつかない・・・・。

 

関西に住んでいるおかげで、こちらではとりあえず変わらない暮らしをしているのだけど、

これだけ大きな地震が頻発しているのだから、大阪だけは安心だなんて到底思えない。

30年以内に必ず南海地震が起こるだろうと言われているのだし。

対岸の火事ではないのだ。

 

だけど・・・・・

実際には、日々、そんなに不安ばかり抱えて生活はしていられない。

外食したり、お気に入りの物を買い物したりしている。

それはこれまで通りの日常なのだけど、

それをブログに書いて、ケーキの写真を載せてひけらかしていいのだろうか・・・と躊躇してしまう。

 

いや、そんなふうに思うのは、かえって傲慢か?

 

被災していない地域まで妙に自粛して消費を抑えてたんじゃ

経済はますます冷え込み・・・・よろしくないはず。

・・・かと言って、

あれを楽しんできました!これを食べてきました!!と書くのは是か非か?

 

私の日記なんて2001年の開設当初から、お気楽な話ばかりなのよ・・・・

 

地震のことを考慮すると・・・・本当に何も書けなくなる。

ものすごく型通りの言葉でお悔やみと励ましの言葉を綴るのも・・・・そういうの見飽きたと思ってしまうし。

 

「がんばれ!」という言葉も、大きなストレスを抱える方にとってはかえって負担になる。

・・・しかし、「がんばって」という言葉以外で、なんとか励ましの気持ちを伝えようと考えると・・・

これが結構、難しい。

 

「頑張って下さい」では、下手するとずいぶん他人事のような、

安全な場所から言っている言葉のような印象にならないか?

 

しかし、東北地方に親戚も持たない、行ったこともない私などが

真に被災者の気持ちに寄り添うことなど、本当にできるのだろうか・・・・・

いくら知恵を絞って言葉を選んでみても、薄っぺらい言葉にしかならない。

その薄っぺらさを誰よりも自分が感じてしまう。

 

いくらテレビや新聞の報道で現地の様子を毎日のように知り得ても、

きっと、それは極、限られた一部のこと。

実際に現地に足を踏み入れれば、その凄惨な様子や粉塵、悪臭などに圧倒されてしまうだろう。

 

テレビで知り得た情報だけで、さもわかったように何かをコメントするなんて、できない・・・。

 

突然、不可抗力の災害に見舞われ、

それまで当たり前にあった大切なものをなくしてしまった多くの人たち。

 

命、家族、家、友達、学校、町、

そしてこれまでの生活、仕事・・・

生きていく支えになる大切な一つ一つが、あんなにもメチャクチャに理不尽に壊されてしまうなんて。

どんなにつらく、不安だろう。

・・・・・・・・・あまりにも

あまりにもその「つらさ」「不安」は大き過ぎて、

想像することに、心の中でストップがかかってしまう。

真剣にそれを考えてしまうことを、無意識に回避している。

真に被災者の心に寄り添うと・・・・・自分自身も壊れてしまいかねないのだ。

 

そんな状態で、「書く」とすると、どんな言葉があるのだろうと考えていた。

歌の方がより伝えられるかもしれないなぁとも思った。

 

先日、天皇皇后両陛下が被災地を訪れ、避難されている住民の方に声をかけてらっしゃるのをテレビのニュースで見た。

皇后さまは「よくがんばりましたね。」と労(ねぎら)ってらっしゃった。

この言葉に、なぜか私まで泣きそうになった。(私は何もがんばってないのに!)

 

そうだよなぁ・・・・・

これからの復興を目指して、「がんばれ!がんばれ!!」と言うのは、まだ早すぎるよね。

まずは、生き延びることができた、そのことを誰かに労ってもらったっていいはずなんだ。

多くの方が亡くなった中で自分が生き延びたことを、逆に罪に感じてしまっている人もいるかもしれない。

そんな人も含めて、

生きるか死ぬかの瀬戸際で、必死にがんばった、その頑張りを認めて、褒めて、抱きしめてあげられたら。

緊張の中でこらえ、体内に溜めたままになっている涙を流せたら・・・・・

そういうケアが一番大切なのかもしれないなぁ・・・・と感じた。

 

がんばるのは・・・それからだよね。

posted by める at 19:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会・政治 | 更新情報をチェックする

2011年03月26日

大震災に想う

大震災より2週間余りを経て、まだ落ち着かない状況ですが、

皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。

地震のみならず、広範囲に停電、放射能の不安も加わり、心配しています。

ここ関西でも大きな地震が、いつ来るともしれません。

備えておかねば、と思いつつ、過剰に心配するのもよろしくないとも思ったり。

 

 

地震のあった翌々日の日曜は、義父の82才の誕生祝の食事をしようと

以前から決めていた。

震災直後過ぎて、お祝いの外食をする雰囲気の世情ではない空気だったが

しかし、他の日では皆が揃いにくい事情もあり、決行。

 

当日、主人の実家へ車で義父を迎えに行くと、挨拶は普段通りしてくれたものの

妙に髪が整っておらず、服装も身なりを構わない様子で、

いつも、お年の割りにキチンとされているだけに、あらら?と感じた。

 

すると、義母が顔をしかめて耳打ちした。

「地震でね・・・・。おじいさん、ふさぎこんでるのよ。」

「え?この辺も揺れましたけど・・・被害、なかったですよね・・・」

 

大阪でも揺れた。

しかし、恐怖を感じるような揺れではなかった。

多くの人が、「めまいかと思った。」と言う。

 

義父は、連日、途切れなく放送され続ける地震の特別放送を見て、

その被害の甚大さに驚嘆し絶句し、気持ちがふさぎこんでしまったようだった。

 

82歳の義父は、第二次世界大戦の大阪大空襲を経験している。

家々が焼かれ、逃げ惑い、家族を失う悲しみを知っている。

生と死が背中合わせ、

すぐそばにいる人が死に、助けることもできず、命からがら逃げる。

累々たる亡骸。

なすすべもなく理不尽に奪われゆくたくさんの命。

怒りをぶつけようにも・・・・どうしようもなくーーーー

 

その記憶が、震災の報道を見ていて、たぶん重なったのではないか。

しばらくして、テレビもCMが入り、バラエティー番組も再開され、

生活に彩りが戻った気がした。

今回、あまりにも大きな地震だったため、特別放送が長期間続いたのは仕方がないし、当然だったと思うが、

情報が欲しいと思う気持ちと、同時に

「変わらない日常」の「たわいのなさ」が

人の生活にどんなに必要で大切かを感じた。

 

被災地は、まだまだ余震も続いている状況。

日常の生活を取り戻すのに、まだまだ見通しさえ立たない方が多い中、

こんなふうに公に言葉にするのは良くないのかもしれないのだけど、

被災していない人まで、気持ちを引きずられて鬱屈してしまうのは、

これはこれでよろしくない。

 

つらく苦しい、暗い時にこそ、

明るく楽しい光が必要で大切なはず。

被災していない私達が元気でいなくっちゃね!

posted by める at 18:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | 更新情報をチェックする

2011年03月11日

祈るしかない・・・

今日の午後、東北で大きな地震が起こった。

午後2時46分ごろ、三陸沖を震源地とするマグニチュード8.8の巨大地震・・・・

明治以降、日本最大の地震だという。

 

東北から遠く離れた大阪でも揺れを感じたのだもの。。。

高校で吹奏楽部の部活中だった次女は、揺れて楽器が鳴り出し怖かったと言う。

それで早めに切り上げ、帰宅して来てテレビの前に座った。

 

どのチャンネルも特別番組に切り替わっていて、地震の情報を懸命に伝えていた。

震源に近い地域の情報はまだ十分に集まっておらず、東京での被害が報道されていたが、

関東でも古い建物が崩れたりと、甚大な被害が起こっているのにゾッとした。

 

ならば、震源近くの地域では、もっともっと被害が大きい。

今、この瞬間にも倒壊した家屋の下で苦しんでる人が一体どのくらいいるのだろうと思うと

・・・・・・・

・・・・・・・・そうだ。

阪神大震災の時もそうだった。

あの時も・・・・・・・と思い出さずにいられない。

 

直後には集まらない情報。

火災が起こり、徐々に被害の状況が伝えられ、

目を疑うような光景をテレビが映し出すーーーー

そうして、日々どんどん増えていく被災者数・・・・・・・・・

 

今回の地震では、津波の被害も凄まじく、

大きな船が横倒しになっていたり、

車やコンテナが多数、海中に流され、渦に巻かれていたりーーー・・・・・

 

お昼間なのに・・・・・

あそこに人がいなかったわけなんて・・・・きっとないのに。。。。

 

そうでなくても今夜は冷える。

なのに、停電で暖房もなく、灯りもなく、不安な夜を過ごさなければならない方がたくさんいる。。。

 

まだまだ余震も続くし、

胸の痛む報道も、まだまだ増えるだろう・・・・

テレビの前でじっとしているだけで、何も助けることはできない。。。

とても胸が騒ぐ。落ち着かない。

だけど、過剰に騒ぐのも、きっと良くない。

・・・・・・・祈ろう。

祈るしかない。

・・・・・・・・・・・・歯がゆいけれど。

 

天災の強大さ。

自然の力の、なんと無慈悲なこと!

豊穣を生むのも大自然なのだけど・・・・・・・

 

ああ、早く揺れの心配が収まりますように。

皆さんの生活が普段通りに戻りますように・・・・

町も、人の心も、すぐには無理だろうけど・・・ゆっくりと癒えますように・・・・

posted by める at 21:32| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会・政治 | 更新情報をチェックする