2019年01月29日

サザンライブ2019チケット当たった!

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春から始まるサザンオールスターズLIVE TOUR2019、応援団先行のチケット当落結果通知が今日。
今回からはLINEチケットでもエントリーできるようになった。
ローソンへ行かずに済み、クレジット決済ができる便利さから、LINEチケットからエントリーしてみた。

昼過ぎにスマホ画面に通知が浮かぶ。
ドキドキしながら開くとーーー

落選。

…えっ!?ええええっ!?
ドームなのに?ドームで落選って…ありえんでしょ~~~~っっ!!!
ブチ切れながら詳細を開くと、
土曜の分が落選、
日曜の分は当選していた。
…ほっ。。。
驚かすんじゃないわよ、、、冷や汗かくじゃない。

すると、二個目の通知がきた。
うん、日曜の分の当選の通知よね。
できれば、こちらから先に開きたかったわよ…

と言うことで!
京セラドーム大阪、2日目日曜に行けることになりました!わーーい!

先行受付第2弾で土曜に再チャレンジするかは未定。

それ以前に、当日何事もなく会場へ行くことができ、心からライブを楽しめる状況であることを祈るばかり。
両親、義母家族諸々…頼むわよ~~~
私自身も元気でいなくっちゃ。
私が行けなくなると次女も友人も入場できなくなっちゃうもんなぁ。

十数年前はライブチケットが取れた瞬間に、ライブ前オフ会の会場押さえの電話を入れて、
準備にいそいそ、わくわく~~だったのにな。
京セラドーム内レストランで、禁断のリハの音漏れを聴きつつオフとか、
横浜へ行くなら、やっぱり腹ごしらえは天吉でオフとか。
楽しかったなぁ~…。

ちょっと心配なのは、LINEチケットってさ、
万が一、入場直前にスマホを落として画面が見れないくらいに割れたりとか、壊れたりとかしたら…どうなるのかしら…。
或いは、少し前みたいにいきなりネットに繋がらなくなる不具合が起きたりとかしたら…。
事前にダウンロードしておくけども、ちゃんと表示されるのかな…。
あれ?やっぱり紙のチケットのほうが良かったのかな…とか思うけど、もう遅いわ。
大丈夫…。大丈夫よ!
全て大丈夫。…たぶん!きっと。
posted by める at 19:39| Comment(12) | 音楽 | 更新情報をチェックする

2019年01月27日

ハーゲンダッツ チェリーカスタードパイ

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秒で即買い!
しかも、2個‼︎

いくつになっても少女趣味をやめられないハートに
ズッキュン突き刺さる。
チェリー。

蓋に描かれたパイも、とっても美味しそう。
アメリカ映画で見たような。
こういうの、食べたいもん。

映画で見たパイは甘ったるいカロリー過多な味の予感だけど、
このアイスクリームは、さすがハーゲンダッツ!安くない方のパイだわ。

なるほど、チェリーカスタードパイ。
アイスクリームの中に入っているのに、なぜかパイはサクサク。湿っていない。不思議。

そしてチェリーの甘酸っぱさがまっすぐにやってくる。
甘さは控えて上品に。
すっきりと清らかな味わい。
大人のためのチェリー。

でも、食べる前に期待したイメージがもっともっと甘くて、
ツンと酸っぱい濃い味だったから、少し物足りなさが残る。
実際、そういうしつこいアイスだと後で喉が渇いて、
それはそれで文句言ってると思う。
女のコはわがままなの。ごめんね、チェリー。
posted by める at 21:44| Comment(0) | グルメ | 更新情報をチェックする

2019年01月26日

上條淳士「東京展」 #大阪の東京展 行ってきた!

見た瞬間に胸をドキリとときめかせ、ハッとさせられる美しい絵。
上條淳士先生の作品が好きだ。
先月、東京で開催され、行きたいけど遠いなぁ~と諦めた上條淳士「東京展」が大阪にもやって来ると知り、これは行かなくちゃ…!とチェック。

ところが場所はアメリカ村のド真ん中…。
うぅ~ん…ちょっと怖い~~。
あまり行かない所だし、店を見つけられるかも不安。
そこで長女を誘うと、「あ。ディグミーやん。行こ!」とあっさり快諾。
心斎橋の夜カフェとして、いつも利用しているらしい。長女は私より大人だわ…。

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ディグミーはお茶もできて、ごはんも美味しく、夜遅くまでやっているので仕事帰りの友人と会う時に便利なのだそうだ。

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店内の壁いっぱいに原画が展示されている。
グッズや書籍の販売もあり、コラボメニューもある。

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悩んだけど…甘いものが食べたくて“俺の”メロンパンにしてみた。

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元ネタ原画コピーを添えて提供してくれる嬉しいサービス。さすが!

「To-y」を読んでいたのは、もう30年以上も前。
それまで見たことのないマンガ、絵の美しさ、表現方法、技巧に「これはすごい!」と感嘆した。
全巻買って持っていて、覚えるほど読んだ。
店内には「To-y」全巻も自由に読めるように置いてあり、長女が読み始めた。
高校では軽音楽部でバンドを組んでいた長女。今もいろんなライブへ行く。
夢中になって「To-y」を読むのが嬉しかった。
時を経ても鮮やかな魅力を放つ作品。
しかし、単行本では全10巻だからね…。そう簡単には読み切れないよ~~。

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ラスト近くのこのシーンも美しかった。

To-yは16才の少年。圧倒的な魅力と天才的な歌唱力を持つ。
それを絵の力で説得させ、尚且つ読む者に感動を与える。
絵からは聞こえないはずの歌や音が聞こえる。
ドラムの重い音。ギターの響き、リズム。
一番、カッコイイ音が聞こえてくるのだ。

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そっかぁ…。To-yは今、こんな感じになってるのか…。
相変わらず、カッコイイなあ!
そして、やっぱり歌ってる。

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マネージャーのか志子さんが好きだった。
表参道のモリハナエビルでお茶を飲むか志子さんに憧れて、私、行ったもの。モリハナエビルに。
実際に行ってみて、本当にマンガに出てきた絵のままで驚いた。
ああ、ここが東京だ。
To-yや皆が住むとびきりカッコイイ街、東京。

ただ、その時はカフェがやってなくて残念だった。
真似て、脚を組んでオープンテラスで気取るつもりだったから。
今はもうビルも新しく建て替わっているらしいね。
東京へもしばらく行っていないなぁ。

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街の雑踏、空気感。
あ、これ、あそこだ!とわかる嬉しさ。
原画で見るとあまりにも緻密で気が遠くなる。
すごい作業!そして絵への真摯な情熱が薫る。

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コラボメニュー以外のスイーツも美味しかったし、
お店の場所も覚えたし、
また美麗イラストを眺めにお茶しに行こうかしら。
posted by める at 12:13| Comment(0) | マンガ・アニメ | 更新情報をチェックする

2019年01月25日

立つ鳥、水清廉7

私が病室を出たすぐ後、
義父の手を握る義母が、「ちょっと様子がおかしいよ。」と気付き、義妹が看護師を呼びに行ったそうだ。
そして、呼吸が止まっていると言われ、慌てて私に連絡をくれた。
この間、約1~2分。
私が病院へやって来て、ちょうど1時間たった頃。
義母と義妹が来たのは30分前。
元々、義母たちが来る予定にしていたのは10分後くらいだったので、「早めに来てほしい。」と病院から連絡があったから間に合った。正に義父が義母を呼んだのだった。

病室へ駆け込み、
「どういうことですか?」と声を掛けると、義妹がわあっと激しく泣き伏した。
義父は先程と変わらず、穏やかに目を閉じている。眠っていたんじゃなかったの?

「嘘でしょ!ちょっと待ってくださいよ!」
思わず声を上げてしまった私をたしなめるように看護師が見る。
その視線とぶつかり、口をつぐんだ。

私の言葉に触発されてか、義妹が義父の肩を掴み耳元で「ねえ!起きてよ。」と大きな声で呼びかけたが、それも看護師にやんわりと止められた。

本当なんだ…と、まだぼんやりとした形ながら認識できたところで、
「30分後に先生をお呼びして診てもらいますので、それまでゆっくりと家族でお過ごしください。」
そう言って看護師たちが退出して行った。

通常の病院なら、呼吸器をつけたり点滴を行ったりと、蘇生術によりたくさんの管で繋がれ、落ち着かないまま看取ることになるのだろう。
緩和ケア病院を選んで本当に良かった。
医療用麻薬を上手く使うことで、痛みに苦しむことなく、本当に静かに、
義妹と私があれこれおしゃべりする“いつもの空気感”の部屋の中、
最愛の妻と手を握り合って義父は最期の時を迎えられた。

主人や娘たちに連絡しなければ、とスマホを握るが、指が震えて上手く操作できない。
仕事中の家族に、どんな言葉で伝えるのが良いだろう。

義父はやはり、ただ眠っているだけのように見える。
ここ最近、痛みに耐えて眉間に寄っていたシワもなく、気持ちよいうたた寝のような良い表情だ。

「こんなにスッと逝くものなんやね…。ビックリした。」
義父の両親、姉と3人を看取った経験のある義母が目を丸くして言う。
臨終に立ち会うのは初めての私や義妹は言葉も発せられないくらい驚いていた。

生と死、あの世とこの世は遠く隔絶された別の世界だと思っていた。
それがこんなにすんなりと、軽く一歩を踏み出すだけで渡れる境だとは。
死は自然の中にある。生もまた同じ。

義母に手を握られたまま眠る義父を見つめて、思わず笑みがこぼれた。
ーーー良かったですね。
そんな言葉が心に浮かんだ。

主治医は、
「最後まで自分を失うことなく立派でした。このような患者さんは多くありません。」と語ってくれた。
ずっと眠りっぱなしの状態になって話もできないまま亡くなるケースが多いのだそうだ。
看護師たちも、義父が急に亡くなったことにショックを受けていた。
「お父さんにはいろんなことを教えてもらいました。」と義妹と抱き合いながら泣いてくれた看護師もいた。
病院を出る時には、主治医、ほとんどの看護師、リハビリの先生たちが1階にまで降りてきてくれて並んで見送ってくれた。
ひとえに、義父の温かい人柄あって、だ。

家族葬でのささやかな式を執り行った。
離れて暮らしている娘たちが帰って来て、久しぶりに家に4人が揃った。
なんと、かしましいこと!
家中のお菓子を食べ散らかし、ジュースを飲み干し、大声で笑い合う。
式場には義妹の息子たちもいる。10年ぶりにいとこと会い、最初は互いに大人になったところを見せようと気取っていたが、あっという間に童心に戻ってワイワイと盛り上がる。
式場では神妙に涙を零し、控室では大喜利で爆笑の渦。
感情の起伏が激しい。
子どもたちのおかげで式が過度に辛気臭くならずに済んだ。
義父もそういうのは好みではないはず。

主人も義妹も義母も、義父の話をよく聞いて世話をした私に礼を言ってくれた。
お礼を言われることではない。
義父は自分の娘のように接してくれた。だから私も自分の親同様に尽くした。
ただ、そんなふうに礼を言ってもらえるとしたら、
葬儀の間の4~5日間、また娘たちと4人、この家で暮らせたこと、この幸せ、これが義父からの大きなご褒美。
私の心からの望みが叶えられた。

焼香を3度、遺影を見詰めて手を合わせる。
ありがとうございました、と感謝の言葉を贈る。
不思議なほど、胸はスッキリと穏やかだ。
義母も同じように語っていた。心残りや悔いを感じないためか、悲しみに胸がつぶれることなく居れる。
これも、義母の心配をいつもしていた義父からのプレゼント。

愛に満ち足り、自然とさりげなく去る、それこそが義父の目指した美しい生き方だったろう。
ならば、大成功ですよ。お義父さん。
なんてお目出度い旅立ち…!
満89才。享年91才の父は戒名に「壽」が付いた。
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2019年01月24日

立つ鳥、水清廉6

義父の病室へ義母と義妹がやって来てくれた。
思っていたより30分も早い到着にホッとした。

「お義母さんが来てくれましたよ!」
耳元で教えると、義父はごはんを食べる身振りをして義母を見た。
これは、「お昼ご飯はもう食べてきたのか?」のサイン。
「食べてきたよ!」
義母が答えると、義父は安心したように頷いた。

誤嚥防止のため飲食は禁止、口腔ケア用のスポンジで水を含ませるように看護師から指示があったことを義妹に説明し、含ませる方法をやってみせた。
すると、今度も義父はスポンジに食いつくようにして水分を求めた。
そこで義妹に代わったが、3回目はもういらないという身振りで断った。

看護師に口腔ケア用スポンジを売店で購入するように言われたと伝えると、義妹はすぐに買いに出ようとしたが
「そんなに急いでじゃなくてもいいと思いますよ。」と止めた。
購入するように言われるということは、少なくともまだ何回かは使用するということだ。
つまり、義父は今日明日…と言った切迫した状態ではないと、看護師は認識している。
その裏付けを得て、気持ちにゆとりができた。
元々、今日は義妹、明日は私が義母を連れて見舞いに行く約束になっていた。
明後日はどんな状況になっているかわからない。
やはり今日、実家と母の施設へ行っておきたい。
実家で父と食べるつもりだった昼食用のパンをバッグから取り出し、病室に常備してあるスティック型のコーヒーを入れて病室のテーブルで食べ始めた。

義母に枕元の椅子を勧め、「手を握ってあげてください。」と言うと、
義父の方から手を伸ばした。
その手を義母の手に包まれ、握りあった。
義父のまなざしがこれまでになく真剣で、思いの丈全てを込めて義母を熱く見つめているのに気付いたが、邪魔しないようにした。

義妹へは、これまた手振りのサインで「足を少し動かしてほしい。」と頼んでいた。
「こう?」と義妹が義父の足を持ち上げる。
上半身は痩せて細いが、下半身はむくんでパンパン。
義父のすねは女の子の太ももほどもある。
「見て。色が変わってんねん。」
義妹が義父の足の指先とふくらはぎが紫になっているのを指し示した。
…壊死が始まることは、もう何週間も前に聞かされていた。
血栓が複数でき、代謝が滞る。
ついにその段階まで来ているのかと、また打ちのめされそうになるが、
実際、目の前の義父はしっかりと意識があり、意思疎通もできる。
まだ大丈夫だ。

その時、義父が手のひらを下へやる身振りを2度した。
しかし、そのサインは意味がわからず、「なんやろうね?」と皆で首を傾げた。
すると今度は、思い切って声を出そうと
「あ!…あ!」と大きな声を上げた。
しかし、喉はずっとゼロゼロ言っていて、それ以上、声にならない。
「ほら、何か言っていますよ。」と皆の注意を向け、義父を見つめたが、これも意味はわからなかった。

いつからゼロゼロが始まっているのかを義妹に聞くと、
「昨日もずっとゼロゼロ言ってたけど、今日のはちょっと違う…。」
じゃあ、昨夜も眠れてないのかもしれませんね、などと話し、
義妹にバトンタッチして、私は実家へ向かうためバッグを持った。

義妹は気を遣って、ここからだと時間がかかるからタクシーに乗って行って!と千円札を2枚、私に手渡そうとする。
いえいえ、いいです!と押し問答をしていて、ふと気付いた。
ずっとゼロゼロと激しい音を立てていたのに聞こえない。
義父は静かに目を閉じていた。

「あれ?!静かですよ?大丈夫ですか?」
私が言うと義妹が義父の頬に触れ、
「大丈夫!息してる。」と言ったので、皆で安堵の息をつき笑った。

昨夜、眠れなかったでしょうからね。みんなが来て安心して今、眠くなったのかもしれませんね。
そう言うと、義母は握り合った義父の手を振って
「寝るの?」と義父の耳元で声を掛けた。

じゃあ、すみません。失礼します。と挨拶し、義父を見たがあまりにも気持ち良さそうに眠っているものだから、
せっかく眠れたのに起こしたらあきませんよね、挨拶はやめておきます。明日また来ますからね!と手を振り、病室を出た。

エレベーターホールに出て窓の外を見ると、いつも病院の前に停まっているタクシーが運悪く一台もなかった。
エレベーターも上りのがやってきて、やり過ごす。
義妹に握らされた札を財布にしまい、気分転換にとキャンディをバッグから取り出した。
その時、スマホに着信がきた。
義妹からのLINE通話だ。
キャンディの袋をバッグのポケットに押し込み、今来た廊下を駆け足で戻る。

「おじいさんの呼吸が止まってん…。」
うろたえる義妹の声が聞こえる。
その時のキャンディは今もそのままバッグに突っ込んだまま。
あの時の胸の痛みが蘇って、いまだに取り出すこともできない。
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2019年01月23日

立つ鳥、水清廉5

病院から「早めにお見舞いに来てあげてほしい。」と連絡があり、義父の病院へ駆けつけた。
4階でエレベーターを降り、ナースステーションを横切ると主治医の姿が見えたので立ち止まり、義父の容態を訊ねた。
もし、した方が良いようなら皆に集まるように連絡を入れますが…とも言ったが、
「そういうタイミングになったら、また看護師の方から伝えますので。」と、緊急な状態ではないと安心させてくれた。

軽減されたが不安はやはり胸の底に沈んだまま、緊張を感じながら病室の扉を開けた。
義父は薄暗い病室で、窓のほうを眺めるようにして横たわっていた。
2日前より更に痩せ、激しく衰弱している。
いつもは荷物をテーブルに置き、コートを棚のハンガーに掛け、手洗い消毒をしてから義父に触れるのだが、
この日は荷物もコートも椅子に放り投げ、できるだけ早く義父の手を取り握った。
義父の表情に安堵が浮かぶ。私に感謝するように頭を下げ、手を握り返してくれるが、その力が弱い。
「もう少ししたら、お義母さんと義妹さんも来ますからね。」
そう伝えると、ゆるくうんうんと頷いた。

ベッド横を見ると珍しく点滴を受けている。義父が空になってぶら下がっている点滴の袋を指さした。
小さな点滴袋に書いてある薬名を読んでも種類に見当がつかなかった。
『15分かけて投与すること』という注意書きでピンときた。
「点滴ですね。痛み止めかな。」
そう言うと義父が静かにうなづいた。
頓服としてこの点滴注射を受けているということは、痛みがかなりつらかったのだろう。
今は医療用麻薬が上手い具合に効いて、穏やかな様子だが。

義父はゼロゼロと激しく喉を鳴らしていた。
それが鳴り止まない。
濃い痰が絶えず喉にある様子。
ティッシュを手渡すと、少し痰を出せたがゼロゼロは続く。
ティッシュを自分で取ることも、紙を自分で捨てることも、もうできない様子だった。
先週までは、こうではなかった。ちゃんと自分で…。
胸が痛むのを隠し、なるべく明るく微笑みかける。

「これでは喉がつらいでしょう…。」
そっと指先で喉の辺りを撫で、触れると余計、刺激になって良くないかもしれないと思い直し、
肩のあたりを労わるように撫でた。
極限まで痩せ、骨に直接触れるかのような肉の無さにギョッとした。
ずいぶん体が熱い。
熱があるのかと額に触れたが、そうでもなさそうだ。
それにしても異常な発汗…。

「点滴、もう終わっていますね。外してもらうよう看護師さんに言ってみましょう。」
動揺を悟られまいと、いったん病室を出てナースステーションへ移動した。

痰の吸引について看護師に伺った。
あれほど痰が出ているのなら吸引したほうが良いかもしれない。
しかし、痰の吸引は患者に負担がかかる。今の義父の状態でそれに耐えられるのか…。
逆にダメージを与えかねないのでは。それも決定的な…。
私の母は集中治療室に入院していた時、痰の吸引で一時、心肺停止になったことがある。

看護師も同意見だった。
そして喉のゼロゼロ音の原因は痰だけではなく、吸引では改善しないかもしれないと小声で言った。
…やはり、そうですか。同じく小声で言うと、看護師はそれ以上言わず、病室へ一緒に向かってくれた。

喉が激しくゼロゼロと鳴るのは臨終が近いサインーーー
その知識が頭に浮かんだ。と同時に強く打ち消したい気持ちに駆られた。

誤嚥のリスクが高いので食べさせたり飲ませたりしないでください、と看護師が言う。
ここは緩和ケア病棟。生命維持のための栄養剤の点滴はしないことを最初に決めている。
水分や食事が摂れないことは一週間以内の死を意味する。
今立つ場所がギリギリの崖っぷち。
それでも何かできることをしてあげたい。
すると、口腔ケア用のスポンジで水を口に含ませるのはOKだと言う。
良かった!それなら私の母にいつもしているので、やり方はわかる。
さっそくやってみようと、冷たい水をコップに汲んできた。
スポンジを水に浸し、コップのふちで少し絞るようにしてから、口に含ませる。
すると、義父は驚いたように目を見開き、スポンジを吸い、ガリガリと噛んだ。
砂漠での遭難者がオアシスの泉に巡り合ったかのように。
甘露。

ちょうどその時、義母と義妹が病室へ到着した。
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2019年01月22日

立つ鳥、水清廉4

越せるかどうか…と医師から言われていた年越しを果たし、義父はお正月を孫たちに囲まれて過ごすことができた。
しかし、年末辺りから明らかに病状は悪化していた。

言葉が出づらくなる。
食後に激しい不快感に襲われるため、食べることそのものがおっくうになり、あんなに旺盛だった食欲が落ちた。
痰がいつも絡むようになった。
下半身のむくみは極限に達し、皮膚から液漏れが起こり始めた。

それでも天気の良い日はベッドごとテラスに出て、短時間でも青空を仰いで日光浴を楽しみ、
お風呂にも入れてもらっていた。
お湯に浸かっている時は極楽だが、着替えなどで体を動かされると地獄の苦しみだったようだが…。

義父の入院以来、義母はほぼ毎日見舞いに通った。
夕刻になり帰り際になると寂しいのか、義母にあれこれ用を言いつけて少しでも長く居てもらおうと甘える。
そんな時、私は一足先に病室から出て廊下で数分間、待った。
夫婦水入らずの時間は大切だ。

義父は皆を心配させまいとしてか、或いは我慢強い昭和ヒト桁戦前世代だからか、苦痛や不満を口にすることは少なかった。
見苦しい姿はできるだけ見せたくない。
見舞いにやって来た我々を、いつも笑顔で手を振り迎えてくれた。
それは義父のダンディズムであり、美学だったのだろうと思う。
しかし12月下旬からは義父の眉間に深いしわが寄るようになった。
痛みがどんどん増してきていた。
それと共に、痛み止めである医療用麻薬が処方される量も増えた。

嚥下が悪くなり、粉薬が貼り薬に変わった。
経皮でゆっくり長く効くらしい。
これも日に日に枚数が増え、頓服としての薬も以前の倍量になってきた。
これが進むと、日中もぼんやりする時間が増え、話ができなくなると看護師に言われた。
話しておきたいこと、聞いておきたいことは今のうちに。

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これまで義父には色々なことを教えてもらった。
多方面に造詣が深く、外国の都市、人名、名所などもフルネームでスラスラと話すのに驚いた。

「〇〇はご存知?」
そう話しかけられて、うなづいても、義父はこちらが持つ情報量の何倍もの知識があり、話し相手としてとても太刀打ちできない。
そこでスマホで調べてウキペディアに助けてもらう。
画像が出てきたりするので、義父も「ああ、これ!これ!」と喜ぶ。

急性期病院に入院していた頃、義父に
「夏目漱石の『草枕』はお読みになったこと、ある?」と聞かれた。
『こころ』はあるけれど、『草枕』はない。作品の概要や、有名な冒頭は知識として知っているけれど。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

大部屋病室の狭いベッドの上でストレスに耐え、ジッと寝ながら辛抱している義父の心情だろうか。
近所の書店で『草枕』を探したが、なんと!置いておらず、少し大きめの本屋でやっと見つけた。
『草枕』はネット上に全文が公開されており、無料で読むことができる。
ただし、本文のみの掲載だ。
文庫本は、全ページの半分くらいは注釈に費やされている。
『草枕』はとにかく漱石の深い教養世界を旅するような小説で、洋の東西、鎌倉、江戸時代、近代…広範囲に渡っての知識がちりばめられている。
だから有料であっても注釈付きの文庫本で読むほうが楽しめる。

義父に感想を聞かれて答えられるようにと読み始めたが、これがなかなか歯ごたえがバリバリ、硬いおせんべいのような文章で、ページ数はさしてないのにそう簡単に読み終えられない。
先に義父へ渡すことにした。

「すごい本でしょ?」
にっこり笑って義父は受け取ってくれた。
そうしてページをパラパラとめくり、「ここをもう一度読んでみたかった。」と二段を開いた。
田舎の老婆の店先の様子が描かれた箇所だ。
二段の冒頭部分は入試問題としてもよく使われるので、私も読んだことがある。
この部分が中学の国語の教科書にあり、習ったのだと義父が言う。
中学校で?この文章を?
義父は戦前~戦中大阪貿易語学校に通って英語、中国語、ドイツ語なども学んだそう。
戦争が始まり、英語教師が学校を去る時、
「敵国の言葉を学ばずに勝てるものか!」と当時としては禁句の言葉を教壇で堂々言い放ったことが今も鮮明に記憶に刻まれていると語った。
それにしても89才の病床で、14才の頃の授業を思い出すのか。
10代前半に得た刺激や知識は、真に一生もの。ずっとその人の基盤になるのだ。

3週間ほどしてから、義父は私に
「まだ全部お読みじゃないんでしょう?」と『草枕』を私に手渡した。

多方面への興味から知識を得、それを自らの教養とすることは人生を豊かにさせる。
それは義父の生きてきた姿であり、私の憧れ。
この教養が濃厚に詰められた本を受け取り、そんなメッセージを感じた。


正月明け、見舞いに行くと義父の痩せが進み、衰弱しているのを強く感じた。
伝えたいことは考えてきていた。
ちょうど皆が病室を出て、義父と二人になった時、耳元で話した。

私は主人に出会えたことをラッキーだと思っている。
そして、お義父さんに出会えたこともラッキー。
お義父さんには、「美しいということ」を教えてもらえました。

義父が聞き取りにくい表情をしたので、ホワイトボードに書いて見せた。

「美学を学ばせてもらえたと思っている。」

その文字に目を見張り、義父は私の手を両手で押し抱き、弱く何度もうなづいた。
義父は言葉が出ないようだったが、私もそれ以上、もう何も言えなくなってしまった。
明るく笑って話すつもりだった。
涙が零れる前に、いつまでも離そうとしない義父の両手をそっと外し、病室を出た。
posted by める at 15:46| Comment(0) | 健康 | 更新情報をチェックする

2019年01月21日

立つ鳥、水清廉3

義父の血液検査の値が非常に悪い、受診してくださいとケアマネジャーから強く言われ、急性期病院へ私が付き添ったのが9月中旬。
そのまま義父は緊急入院となり、以後、一度外出の形で昼に2時間ほど家に戻ったがそれきり帰宅は叶わなかった。

当初は私もそんなふうには考えておらず、義父の入院は義母の休養になると喜んだくらいだった。
ところが、受診したその日のうちに医師から義父の病名が前立腺がんであることを告げられ、動揺した。
重い病名を主人や義妹へ私から伝えなければならないのは荷が重かった。
義母へは、早めに退社し駆けつけてくれた主人から話してもらった。

通常、がんの宣告は生体検査の結果を見てからだと思うが、医師はMRI画像を私に見せ、説明しながら言い切った。
PSA値が3桁。触診等、診て判断可能なほど、はっきりとした異常があった。
そして更に各種検査を進めて行くうち、義父の容態が予想以上に過酷であることが明らかになってきた。

リンパ節や骨にも既にがんが転移していた。
尿閉塞の原因はリンパ節に転移したがんに押されて尿管が塞がり、さらに前立腺ががんによってデコボコに肥大化しているため尿が通りにくくなっているためだという。
ゆっくり進行することがほとんどの前立腺がんの中で稀なケース、義父は進行、増殖の速い小細胞がんだった。

診断がつくと、いきなり余命の話になる。
腎臓に対して処置しなければ5日~1週間、すれば1カ月と言われた。
その後、腎ろう(腎臓へ直接管を刺し尿を体外の袋へ出す処置)手術を受け、腎機能が落ち着いたことで退院前には余命を、1カ月…長くて3…カ月…と医師は考え考え私たち家族に告げた。

治療は高齢の義父の体に負担がかかるし、効果も期待できない。
医療用麻薬の痛み止めなどでの緩和が良いと医師に言われ、家族も納得した。

義父本人には最後まで病名や余命について話さなかった。
話したほうが良いのではないか?と思ったこともあったが、それで良かったのだろうと今は思う。
義父は私達家族にも看護師や医師にも、自分の病名や余命について一度も訊ねなかった。
医療用麻薬を処方された時点で、聡明な義父は気づいていただろうと思う。
posted by める at 15:02| Comment(0) | 健康 | 更新情報をチェックする